お侍様 小劇場
 〜番外編

***7“仲たがい” (お侍 番外編 34)
 


薄く開いた障子に手をかけ、見やった庭先には、
つるりとした感触の、冷ややかな夜気が垂れ込めていて。
そんな中に冴え冴えと浮かぶ、
淡灰色の望月を遥か頭上の宙空に見上げておれば。
室内の側、廊下に面した襖の側から、
ほんのかすかな気配のそよぎがし。
さほど張り詰めていた訳じゃあなく、
むしろどこかぼんやりと、取り留めない気持ちでいたものが。
その気配には はっとして、
青玻璃の双眸にも表情にも張りが戻り、我に返れたらしくって。
真白き小袖姿も楚々として映える、
金絲に縁取られた細おもて、そちらへそおと向けたるは。
それまで見ていた皓月にも劣らぬ、
それはそれは瑞々しい美貌の青年で。
音もなく襖をすべらせ、部屋の中へと入って来た気配へと、
ややもすると戸惑い気味の視線を向ける様子が、
何とも言えず心細げで儚いが、

 「島田のことでも思うていたか。」
 「…久蔵殿。」

最初に訊かれたのがそれだったのへ、
七郎次の細い眉が心なし翳ってしまったのも無理はない。
彼もまた同じような小袖姿の青年の、端とした声音はいつものことで。
よって、特に詰
(なじ)られた訳ではない。
いつ何時でも、あの精悍な壮年へばかり、
その想いを馳せている七郎次だというくらい、
久蔵だとて重々知っているのだろうし、
彼の勘兵衛への従属ぶりは、
自身が仕える宗家の惣領へという枠を超えての、
もはや盲従と呼べるほどもの徹底ぶりであるのも承知の上。
だが、今宵ばかりは、
その納得にも危うい陰りが落ちている模様。
ゆったりと歩み寄って来たそのまま、

 「…あっ。」

不意を突くようにして捕まえられた腕。
やわらかな生地で仕立てられた、
純白の小袖の袖口から覗く、
目の詰んだ練絹のような肌の上には。
血の滲む傷ででもあるかのように居残る真っ赤な跡が、
それは鮮やかに這っているのが何とも痛ましくて。

 「このような真似をするような奴を。」

それでもまだ慕うのかと、
斬りつけるような口調で久蔵が言い放つ。
いつものように朝の水仕事を手掛けていた彼が、
濡れてしまうだろうに袖を上げないことを不審に思い、
何げなく捕まえて見やったところが…この鬱血の跡。
この彼へとこんな跡が残るような仕打ちの何かしら、
与えられる人間はそうはいないし、
それを久蔵へと隠そうとしていたことが、
既に何かを裏打ちしてはいないか?

 「ですから。何度も申し上げましたように、これは」
 「〜、〜、〜。(否、否、否)」

七郎次が勘兵衛を庇うのは当然だから、
何を言っても聞かれはしない。
そういう貞節を重んじての堅いところが、
この青年の人柄の、過ぎるほどの謙虚さと相俟って。
つましいほどに自己韜晦する健気さが、
心のどこかで いっそ癇に障っていた久蔵であったらしく。
携帯電話で木曽の実家へと連絡を入れ、
東京に在住している顔触れを寄越してもらい、
七郎次の手を取ったまま、
いで立ちに至っては起きぬけのトレーニングウエアのまま、
あっと言う間に東京を脱出していた迅速さよ。
勿論、七郎次も彼なりの抵抗を試みかけたが、
嫌だともがきかけたところが、

 『……。』

普段よりも潤みの強い、紅の双眸にて見据えられては、
日頃からだってその眼差しには弱い彼だけに
強く撥ね退けることも出来ぬままになってしまったし。
乗り込んだ車の中では中で、
きゅうんと切なげにも甘いお声さえ放っての、
懐ろへすがりつかれてしまっては、
もはや抵抗など出来ましょうかという状態に陥ってしまい。

 『篠宮。』
 『お久しゅうございます、若。』

そうして、午前中をかけて辿り着いたは木曽の島田領。
次代である久蔵が不在でも、
こちら方面の支家分家の連絡網の拠点として、
しっかと機能している屋敷でもあって。
久し振りに久蔵が戻られるとあって、招集もかかってのことだろう、
家人もずらりと揃い踏み。
急な訪のいをした二人を、そりゃあ丁寧に出迎えてくださって。
そんな中でも、
ああ、勘兵衛様はちゃんとお仕事に出られたのかしらと案じたものの、
何も持たぬままに連れ出されたので携帯電話もない身ゆえ、
連絡も取れないまんまに刻は過ぎ。
家人に訊いてもあったはずの電話は影さえ無かったし、
では携帯をと頼んでも、
若の命でお貸し出来ないと、困ったような顔をされるばかり。
ああこれは、本気で怒っている久蔵らしいと思い知り、
せめてこれ以上の勘気を煽るまいと、
大人しく構えて過ごした一日だったのではあるが、

 「お願いですから、こんなことは止して下さいませ。」
 「…。」

すべらかな頬に束ねず降ろされていた金の髪が流れて触れて、
彼の繊細な風情を強めており。
こんなこと?と問い返したらしい視線とともに、
そんな七郎次の嫋やかな風貌、
ともすれば眩しげに見やった久蔵ではあったものの、

 「アタシを此処まで連れ出してどうなさるおつもりです。
  勘兵衛様への何かしら、意趣あってのことと…。」

反逆などとは大仰ながら、
それでも…少なからぬ叛意あっての狼藉かと、
疑心を持たれてしまう恐れは大きにあって。
それを案じて言いつのれば、

 「構わぬ。」

やはり端とした声で返した君。
玲瓏透徹、あくまでも凛然としている態度には、
どこにも付け入る隙がなく。
いずれはこの屋敷を引き継ぐ当主となる彼の、
日頃は隠し切っている威容の片鱗が覗けもし。

 「大切な妻へ、このような仕打ちをする男へ、
  一体 どのような気遣いをしてやる必要があるものか。」

一切逆らわぬをいいことに、
それはそれは凄惨な凌辱の限りを尽くしたに違いないと、

 「いやあの、だからですね………。/////////」

何をどこまで判っていてお言いな久蔵殿なのだろかと、
そこのところの刷り合わせのしようがないのがまた、
七郎次に強い説得をさせてもらえぬ難点でもあって。
確かにあのその、
昨夜は勘兵衛様に、手首を腰紐でぐぐいと縛られてしまったけれど

 『いけませんて、勘兵衛様。
  そんなところをいくらきつう縛っても意味がありませぬ。』
 『そうなのか? 心の臓に近い方がよいと。』
 『…どんな大怪我ですか。』

指先をちろっと、読んでいた雑誌の縁で切ってしまい、
見る見る滲み出た血へ慌てた勘兵衛が、
何を間違えたか、そんな手当てを仕掛かったまでのこと。
指先の傷だってもう何処だか判らぬくらいに浅かったそれであり、
ただ、七郎次が肌の白さが災いし、こういった跡が長く残る体質なので、
翌朝どころか、丸一日経った今でさえ、
痛々しいほど赤く残ってしまっているだけの話であり、

 “何をどう勘違いなさったものなやら。////////”

何でそちらがそうまで含羞むかと、
心のうちが読めるものが居合わせたなら間違いなく小首を傾げただろう、
おっ母様の含羞みようであり。
伏し目がちとなった長いまつげが頬の縁へ、
淡い陰を落として憂いの色を深くする。
品のいい締まりようの口許は、
物問いたげに…なのにきゅうと閉ざされて、
肩へまで降りた金の髪の先は、
首元に危なげな陰を落とし、
清楚な襟足に得も言われぬ色香を匂い立たせて…。






 「…何とも麗しいお姿ですな。」

遠眼鏡で望む、それは小さなお顔や所作でさえ、
名のある絵師の渾身の一幅を思わせる、それはそれは端正な君。
地図にも名だたる山脈の尾根からは外れた一角ながら、
それでも戦国時代には、
名将が攻めあぐねた難攻不落の城として名を馳せた土地に構えられた屋敷。
近間の林の中に停めたボックスカーの中からそちらを見やる人影が、
スコープのフレームに収まった、
いづれも麗しい二人の青年の姿へと思わずの感嘆を述べれば、

 「当然だ。」

後部座席に身を埋め、胸高に腕を組み、
眠っていたかのようにじっと眸を閉じていた連れが、
さして感情も込めぬ言いようをさらりと返した。
短めの襟が立った厚手のスムースジャージは、
その胸板や二の腕の屈強な肉置き
(ししおき)を隠しもせで。
束ねぬ長髪がゆるやかな深色の波を打って肩からこぼれ、胸まで流れて。
少々機嫌の傾しいだ今、
猛禽のそれのように鋭いばかりな表情を染ませた精悍な面差しが、
忌々しげに口許を歪ませる。

 「何としてでも取り戻す。」

果たして、愛しい家族と団欒をという意味か、
それとも唯一無二の愛妻をという意味なのか。
苦々しげに口許へと浮かんだ感情を、それでも何とか飲み下すと。
シートに埋めていた身を起こし、左手首の時計を見下ろす。
そんな彼へと、車外より駆け寄った影が囁いたのが、

 「ひとふたまるまる時、3分間だけ断線を仕掛けます。」
 「判った。」

管理システムへの混乱は出来るだけ避けたいので、
それ以上は無理だという、そんな事情は重々承知。
3分にお釣りが来るだけの働きをして見せようではないかと、
不敵に笑った雄々しき武人。
スライドドアを引き開けると、悠然と車外へ降り立って、
頭上の煌月を見上げ、いきり立つ気持ちを呼吸の下へと押し込める。


  “待っておれ。”







◇◇◇****



障子を透かし、白く灯った明かりは月光。
まださほどに寒い時期でなしと、縁側廊下にも雨戸は立てずにいるがため、
そこから届いた月光がそのまま、
室内を囲う障子を行灯の囲いのように白々と染め上げてもいて。
思うところがあってのこと、なかなか寝付けなかった七郎次だったが、
車に乗り詰めだった強行軍で多少なりとも疲れていたのと、
懐ろへともぐり込んで来た子猫の暖かさとに絆されて。
夜半を待たずして、瞼も降りてのうつらうつらと、
やわらかな微睡みに意識をひたしかかっていたのだが。

  ―― さわ…っ、と。

ほんの一瞬、そんな部屋の障子をよぎった影があり。
これが昼間であったなら、鳥の影だろと片付けもするところだが、

 “こんな遅い時間にあんな勢いで翔る鳥がいようものか。”

何か怪しい存在が来たったらしいと。
形のない影が頬を掠めただけの気配へ、
瞼は閉じたままだったが、しっかり反応していた七郎次。
懐ろの温みを起こさぬよう、徒に緊張はしないまま、
それでも…そおっとそおっと障子が開いてゆく気配を見やると、
少しずつその身へとバネをためる。
何の武具の用意もないが、基本的な護身術なら心得てもいるし、
自分に何があっても、懐ろに抱えたままの次代様だけは死守せねば。

 「…。」

薄く開いた障子は、だが、
それこそ仔猫一匹がようよう通れるくらいの隙間で止まり。
それが泥棒の類であれば、
夜具が敷かれてあるだけのこの部屋には用向きがないということか。
相手の出方を待って、こちらも息をひそめておれば、

 「…っ。」

逆の方向、部屋の奥向きの側から、
いきなり掴みかかって来た手があったものだから、

 「な…っ。」

不覚を取られたことが、単なる驚き以上の驚愕を呼び、
七郎次の反射が一瞬ほど鈍る。
息を引いたそのまま、肩を二の腕を布団越しに強く掴まれ、
声を上げようとした訳じゃなかったが、
口許を大きな手のひらで蓋がれて。
抵抗しようとした総身は、
布団の端々を巧妙にも押さえられることで、
無駄なく封じられているのが忌々しかったけれど……。

 “………え?”

忌々しいと感じたのも一瞬。
この重みや力の掛けようには覚えがあるし、
こんな風に口へとあてがわれたのは初めてだったが、
乾いた手のひらの熱さや感触にも、
忘れようのない質感があり、

 「シチ。」

耳元へと届いた低いお声が、
何とはなくの想定を確たるものとする。

 “あ……。”

昨夜から丸一日、お逢いしないままだった御主なのだと判る。
だが、

 “…よくもまあ、忍び込めましたね。”

この屋敷は、一見古風な武家屋敷風だが、
あちこちに先進の防犯設備が据えられてあるし、
今宵はきっと、久蔵が命じてのこと、
寝ずの番だって幾人も詰めていたはずだろうに。
そんな不審を眸の色へと浮かべたことが通じたか、

 「儂を誰だと思うておるか。」
 「…倭の鬼神様でしたね。」

諜報活動では超一流とされている、
某大国の情報局の監視下にあっても、
蚊帳をめくるごとくの容易さ、
自在に行動出来てしまえる現代の“忍
(しのび)”。
飛び抜けた度胸とあらゆる武装や武術への勘まで兼ね揃えた、
とんでもない一団を率いる“証しの一族”の長がこのお人。

 「で? 何をどうされました?」
 「周辺地域の電力供給をな、3分だけ切った。」
 「〜〜〜〜。」

この屋敷へだけの働きかけというのはなかなか骨が折れることだったし、
そんな細工の痕跡が残っても面倒だと、
あっさり見切ったのだろう豪胆さよ。

 “ご近所の皆様方、相すみません。”

たったの3分間でも、
何か重要なお仕事をなさっておれば大変なことになるってのにと。
ついつい口許を引きつらせた七郎次だったのだけれども、

 「…シチ。」

緩められた手のひらが退くのがちょっぴり寂しい。
ギュッと拘束してまでも、
我が身をほしいと求められたような気がしていたから。
そんな甘やかな想いに浸りかけたのも束の間、

 「…っ。」

そおと近づきかけていた男臭いお顔が、そのまま真っ直ぐ遠のいて、
がばぁと跳ね上がった掛け布ごと、
宙へと浮いてから、夜具の傍らに膝をついての着地を見せる。

 「…島田。」
 「そんなところにおったのか、久蔵。」

肘と足とを真横に跳ね上げ、
のしかかって来ていた勘兵衛を布団ごと吹っ飛ばした剛の者。
向こうでも大きく飛んで避けたからこそ、相乗効果でそうなったのだが、
あわわと焦りつつ身を起こした七郎次の懐ろに、
依然として寄り添ったままの、金髪痩躯の若武者は、


 「どの面
(ツラ)下げて来やったか。」
 「そちらこそ、シチを攫うとは厚顔なことを。」


大体、日頃からもお主はシチを蔑
(ないがし)ろにしていて。
何の話か知らぬが、
人の妻を、ましてやお主の母にもあたろうものを、
こんな風に力づくで略取してもいいと思うておるのか。
力づくはお互い様だ、大事にせぬなら俺が貰い受けるまで……と。
聞いてるほうが恥ずかしくなるような口撃合戦が始まって。

 “……久蔵殿、案外と口が回るのですね。”

感心している場合かい、おっ母様。
(苦笑)
困ったお人たちですねぇと、
やっとのこと、お空の真上まで昇った晩秋の皓月が、
声も立てずに微笑ってござった、
木曽の静かな山間の宵の、とある一幕でございます。





  〜どさくさ・どっとはらい〜 08.11.18.


  *出だしが意味深だった割に、中身はとことんお馬鹿な話でした、すいません。
   お懐かしい『うる星やつら』の面堂さんトコの、
   身内戦争とか思い出していただければ笑いが倍増かと。
(おいおい)
   某Y様とS様のところで競演なされていた、
   そりゃあ艶やかな大人向けのお話に触発されたものの、
   ウチだと…シチにそんな扱いをするとは けしからんと、
   いきおい怒り出す子がいるよなぁと、
   妄想の軸が大きくずれてのこの有り様です。
(う〜ん…)

   いい加減にしなさいとの、シチさんの一喝で幕を下ろすに違いなく。
   いっそ泣き真似でもして、
   せいぜいオロオロさせてやった方が、
   のちのちの薬になるかもですよ、おっ母様vv


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv

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